合理的、非合理に関する考察。カフェに風除室を。

先日、某チェーン店のカフェに入った。

寒い日だったので奥の席に陣取ったら、なんとまあ、ドアの真正面だったのでドアが開閉するたびに風が入り込んでちっともあったかくない。コートを脱ぐことも出来ない程だったので、スタッフさんに了解を得て仕切りの奥の席に移動した。

仕切りの内側は相当暖房が効いているらしく、かなり暑かった。

仕切りはアクリルなので、移動前のフロアがよく見える。そちらに留まるお客さんはやっぱりみなさん寒そうで、コートを着たままの人も多かった。

ふと思った。ドアに風除室を設ければこんなに暖房しなくてすむのに、つか、向こうのフロア風除室そのものじゃん。

風除室って、ビルの出入口によくある2つのドアに挟まれた小さなスペースです。読んで字のごとく風を除く部屋のこと。強風の時ドアがバタバタしたり、開かなくなったりするのを防ぎます。

これを取り付ければ、初期費用はかかるかもしれないけど、冷暖房費がかなり節約できるんでないかい? これを取り付けると席が減る、機会遺失になるかもしれないけどカフェが満席になることってランチタイム位なんだから、それより冷暖房費が抑えられればこちらのコストメリットのほうが大きくて合理的じゃない?

なんて、合理性について埒もないことをつらつら考えていたら、前の職場の事が思い出されムカムカしてきた。

前職場は非合理の塊だった。

仕事というのは、十年一日同じ事をしない。

例えば、自動車を売るセールスの仕事だとしよう。十年全く同じ車種を売り続けるセールスなんてまずいない。モデルチェンジ、価格改訂などの内部側の要素、税率や法律の変更、顧客の嗜好の変化など外部的要因で売る商品や売り方など変わっていくもんだ。それによって今までやっていた作業が不要になったり、新たな作業が必要になったりする。新しい商品のセールストークを考えたり、新しい法律が出来たなら覚えたりして知識を更新してゆく。

しかし前職場はそれが出来なかった。新しい仕事が始まっても古い作業を捨てる事が出来ず、それに新しい作業が付け足されていくので、作業量が(それも無駄な)どんどん増えていってしまい、かつ古い作業と新しい作業が矛盾していたりする。その矛盾は各人の根拠レスな判断によって処理されるので、現場はかなりなカオスになっていた。

仕事の作業効率も人間関係も最悪になってきたため、私は上に作業内容を見直したらどうか提案した。しかし、トップが何も言わないから変更の必要はないと言われてしまった。トップが何も言わないからじゃなくて、こちらから上奏したらどーなんた、と思った。

埒があかないので、自主的に関係部署に連絡してこれこれの作業はそちらの部署に必要かどうか確認した。それを上に言ったら、自分はそれを聞いてないので認められない、とぬかした。じゃあ認めない判断を下す前に私が確認した部署に聞けばいーじゃん、そちらを通すというプロトコルを欠いたのは面子をつぶす私の失敗だったかもしれないけど、もっと仕事を簡素かつ合理的にして作業ミスを減らしたいんだよ、と思った。どうやらその人の考えは、作業量が多いほど上から評価されるという物らしい。そして私の同僚もその考えらしい。四面楚歌になった…

社会にある程度の非合理は必要なのか?

なーんて事考えてることが精神衛生上悪いな。もしかしたら私が思う非合理にも合理的名理由があるのかも。

もう寝よ。